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【イベント】「文ッ字フリマ」でパンダを見た

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町田で開催された「文ッ字フリマ」に突撃した。大日本タイポ組合が主催するタイポデザイナーたちが自慢の文字グッズを展示販売するイベントだ。

 

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会場は「町田市民文学館ことばらんど」という公共施設の2階と3階、上ってみる。


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会議室で使うような広さのスペースに所狭しとブースが並んでいる。立ち止まることも難しい程にタイポフリークたちが押し寄せた。正に動物園のアレだ。

 

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即売ブース以外にも展示スペースがあり、デザインの進行もわかる冊子が目に付いた。

 

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知人のブースを中心に買い漁る。予めツイッターのタイムラインで予習をしていたので「あーコレコレ!」と釣り上げるスピードは速かった。じっくり愛でようと思う。

 

まちの文字図鑑 ヨキカナカタカナ

まちの文字図鑑 ヨキカナカタカナ

 

 

 

【桐生】寂れた飲食街とモダン建築

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北関東は東北道と関越道に挟まれた桐生市に訪れる機会があったのでスネークしてきた。

 

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まずは下調べしておいた最安のコインパーキングへ。ウソだろ!と思うほど安い。60分/100円の表示が必要なのか疑問に思った。

 

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飲屋街を歩くと早速脇道の路地、入るしかない。

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共食いキャラである。遠くからも美味しい匂いがした気がする。

 

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廃屋と駐車場。新しもの好きの契約者がいるらしい。

 

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だいぶ疲れているスナック長屋。

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やはり廃墟状態だった。

 

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「鏡」という店。個室空間で朝5時まで、しかもこのエントランス!あやしい、怪しすぎる!が、路地を出て表通りから見たら普通のスナックのようだった。

 

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なんとなく気になった青い看板建築。

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路地を見たらとんでもないものの倉庫だった。

 

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歩いていると所々にモダンな建築物。都心ではなかなか見られない形だ。建て直しが少ないのか面白いビルが残っていた。

 

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散歩途中で見つけた「桐生倶楽部」。調べたら大正8年建造だとか。とてつもなく古い建物と遭遇してしまった。あなたが優勝!

 

 



【藤沢】飲食朋友会と街中もじゃハウス

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日曜日午前中の消防ボランティアミーティングの後、夜の大船でのイベントまでに程よい散歩時間。ひと駅先の藤沢を目指した。

 

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藤沢といえば定番の「飲食朋友会」、実は初訪問なのだ。いろんなところで紹介されていたが、もしかして更地かもと心配しながらのスネーク。残っていて安堵した。

 

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ど昭和な店構えが当時を偲ばせる。普通酒をあおりながらのおしゃべりが聞こえてきそうだ。

 

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この横丁、入口のアーチから気になったが蔦がすごいのだ。どこを向いてもグリーンが一面に生い茂っている。4月も半ば過ぎという季節がドンピシャなのもあるが壮観だった。

 

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朋友会の路地を抜けるとまた別の飲食店コンプレックス。キレイに上半分だけのデコレーションになっている。駐車しているベンツの脇も平気に通り過ぎていたが先人情報によるとやっぱりなエリアらしい。

 

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先に進むと装テンが店舗だったことを主張している、もじゃハウス。前後左右どこから見てもグリーンしかない。テントも!

 

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あるわあるわ、もじゃ物件。10歩進めばグリーンが大げさではないかもしれない。気流か何かの影響で温暖なのだろうか藤沢は。

 

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これは駅へと続くメインストリートに面する長屋店舗群。2Fが重点的にもじゃっている。意図的に誘導しているのだろうか。

 

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もうすぐ駅というところで木造建築ストリートを見つける。自分が子供の時の街並みがそのまま時間が止まったような雰囲気だ。しかし生活感はなく、藤だけが住人のようだった。

 

世界一の庭師の仕事術 ?路上花屋から世界ナンバーワンへ?

世界一の庭師の仕事術 ?路上花屋から世界ナンバーワンへ?

 

 



三島ダム湖畔の素掘りトンネル

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とある用事で君津市へ。2時間以上前に着いてしまったので下調べしておいた三島ダムをカーナビにセット。しかし今回のターゲットはダムでも満開の桜でもない、素掘りのトンネルだ。

 

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三島ダムのすぐ横にトンネルの入り口がある。写真の背後には満開の桜。ジモティーがバーベキューで宴会しているのを横目に腹を鳴らしながら進む。

 

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トンネルの壁面を見るとツルハシを叩きつけた跡がびっしりと並んでいた。なかなか珍しい光景だ。

 

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最初のトンネルは途中で90度曲がっている。役所が作るトンネルではあり得ない角度。パノラマ合成してみたがイマイチ直角感がわかりにくい。こういうのはVRが良いのだろう。

【2019年4月10日追記】

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忘れた頃に作成されるGoogleフォトのパノラマ合成

やっぱりGoogle先生の仕事は間違いない。だけど、もっと早く作ってね♪ 

 

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第2のトンネル中程に横への道。何も案内がないが進んでみると小さな建物。マップを見ると八雲神社という名称だった。賽銭箱はないのでジャランジャランとごあいさつしてから中を覗いたがよく見えなかった。

 

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トンネルの先にも道は続く。ダム湖の湖畔、ちょっとした入江に捨てられた小舟や流木が漂っていた。

 

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道の終点には民家が数件。その近くには蜂の巣箱が並んでいた。何かを確認するために近づいたらハチの飛ぶ姿が見えたのでUターン。東京から1時間強な場所で養蜂が行われているとは思わなかった。

 

 

 

【東北震災遺構2018】③たろう観光ホテル

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東北震災遺構めぐりも最後の目的地へとたどり着いた。岩手県宮古市田老地区、津波で街が全滅になってしまったところだ。


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旧堤防と新堤防。古い方は一部損壊していた。新しい堤防は海寄りにより高く建設されていた。


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津波到達地点の表示は港湾施設と岩山に設置されている。今回の津波が如何に高いかがよくわかる。


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f:id:twinleaves:20180713075641j:image報道でもよく紹介されていた震災遺構「たろう観光ホテル」。1階と2階は津波で骨組みだけになっていた。

 

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あらかじめボランティアガイドを申し込んでいた。ガイドと一緒でないと中に入れないのだ。ガイドによる案内で客室内を見学、3階以上は何もなかったようにキレイな状態で残っている。さらに奥の部屋へと案内され、そこでホテルの社長さんが撮影した津波到達時のビデオを見る。沖合から黒い塊が迫ってくる、そしてホテルと海岸の間を消防車が走り抜ける。その直後堤防を安々と越えて迫ってくる大津波。映像で見ても迫力があり恐怖感を覚える。目の前でリアルに体験したら腰を抜かすだろう。実際、ビデオ映像は津波がホテルに到着するときの一瞬、カメラが上を向いてしまっている。本人は覚えていないそうだが自然と体が避けたのだろう。


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このホテルの社長さんは防災意識が高かったようだ。津波以前から掲示されている張り紙、従業員も全員無事だったそうだ。ホテルは近くに新築された。しかしこの被災建物は遺構として残すことを決めたのだ。石碑や碑文だけではすぐ忘れ去られる。これだけ大きい遺構でいつまでも危険に備えることを忘れないようにという思いだろう。次世代につなげて行きたい。

 

 

【東北震災遺構2018】②石巻市立大川小学校

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震災遺構2カ所目は石巻市の大川小学校へ。カーナビに「大川小学校」と入れて走り、到着すると報道で見た風景ではない別の小学校だった。校舎がなくなったので近くの小学校と合併となったようだ。「震災遺構」で調べてたどり着いた。 

 

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震災から7年以上経ったこの日もたくさんの花が手向けられていた。手を合わせてから先に進む。

 

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津波に合う前のおしゃれな建物が偲ばれる残骸は静かに佇んでいた。緑と川そばの小さな町にこのような立派な小学校で児童たちも楽しく学んでいたんだなと想像した。

 

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f:id:twinleaves:20180510230814j:imageコンクリートの構造物も津波の力によってなぎ倒されていた。生身の人間が耐えられるはずがない。

 

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校舎の奥には裏山、確かにすぐ近くにあり登るのも難しくなさそうだ。

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www.kahoku.co.jp

いろいろ調べていくとこのハザードマップにたどり着いた。防災関係者で事前の情報が頭に入っていた人間ほど大川小学校は安全と思ってしまったのではないだろうか。結果的には負の防災対策になってしまった。

しっかりした防災計画と想定内だけにこだわらない人間の勘や本能などの総動員が生き残るためには必要になってくると感じた。

 

 

 

【東北震災遺構2018】①仙台市立荒浜小学校

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震災から7年を過ぎた東北は宮城県岩手県の被災地を巡ってみた。

 

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まずは「仙台市立荒浜小学校」。ここは仙台市中心部から直線距離で10km程度離れた太平洋沿岸部にある。海岸から700mしか離れていない校舎は震災遺構として仙台市によって保存・管理されている。外観は一見キレイだが・・・

 

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校舎内は自由に見学できるようになっている。津波は4.6mまでの高さで押し寄せ1Fと2Fを飲み込んだ。91人の児童と地域住民ら320人は屋上に避難して無事だったとのこと。その後、夜を徹して自衛隊のヘリで救出されるが一部の大人たちは翌朝徒歩での避難となったらしい。

 

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津波の威力は強い。鉄の柵やコンクリートの構造物まで破壊する。生身の人間が対抗できるわけがない。

 

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f:id:twinleaves:20180506192931j:image海抜5mもない平坦な街。ここには800世帯2,200人の人々が住んでいた。そこへ10m以上の津波が襲ったのだ。小学校以外のすべてが押し流された。右に見える黒い集団は墓石のようだ。おそらく流された石を元の墓地があった場所へ戻したのだろう。隣のお寺は跡形もなく流され更地になっていた。

 

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この日は風が強く波打ち際に高い白波が立っていた。遠くから見ると防潮堤は低いように見える。小学校から海岸までには何もない。

 

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みんなが避難した屋上も公開されている。320人が避難し救助を求めたこのスペースは災害時に利用できるように整備されていた。3月上旬で雪が舞う季節、児童たちは一旦4階の廊下に待機させたほどの寒さだったようだ。

 

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沿革には明治6年開校と記されている。143年の歴史は津波によって閉じられたが校舎は残った。記録ビデオの中で校長先生が説明していたが、防災計画として校舎の隣りにあった体育館は全く避難先の対象にしていなかったとのこと。校長の意識が高かったのかこの小学校では防災計画がきちんと出来ていたようだ。

GWで子供連れも多く見学していた。これからの社会を作る子どもたちにもこの教訓を受け継いで生かして欲しい。そのための遺構だから。